お品書き

8月31日

献立 : ほうれん草とベーコンのスパゲッティ−
      ミックスグリーンサラダ (市販のおいしいマスタードドレッシング発見)
      ガーリックトースト

8月30日

献立 : 煮込み焼き豚 (ゆで卵も一緒に浸け込みます)
      チンゲンサイの クリーム煮(干し海老を使って)
      インゲンのマヨネーズあえ

8月29日

献立 : 今夜も子供のリクエストで オムライス
     (夫は ケチャップ味の パスタも ライスも食べないので 
      出張中は ついつい続きます)

8月28日

献立 : 夫が出張で 子供の好物 ナポリタンスパゲッティ-
      サラダ with ハニーマスタードドレッシング

8月27日

献立 : カジキまぐろのステーキ
      ガーリックライス メキシコ風
      空摘芯?という中国の菜っ葉で オイスターソース味炒め
      オクラのフライ

8月26日

献立 : グリルシュリンプ
      温野菜ミックス (ブロッコリー、ズッキーニ、イエロースカッシュ)
      ライスピラフ

8月25日

献立 : Blackeyed Peas & Rice
      大根と干し海老の煮物 (ミスマッチですみません (^^ゞ

8月24日

献立 : トムヤンクン
      餃子
      ほうれん草のピーナッツあえ

8月23日

献立 : ツナヌードルキャセロール(ブロッコリー、人参、グリーンピース、コーン      入り)
      シーザーサラダ

8月22日

献立 : 回貼豆腐
      白菜の甘酢漬け
      缶詰でごめんなさい〜 ふかヒレスープ

8月21日

献立 : ステーキ(私はフライパンで、夫は外でグリル)
      オリジナルマカロニサラダ
      ほうれん草のサラダ

8月20日

献立 : お友達のお家で ピザ

8月18日

献立 : 親子どんぶり
      おすまし
      オクラのごまあえ

8月17日

献立 : 海老のばら寿司
      おくらのごまあえ
      卵おとし汁

8月16日

次女の骨折、手術から4週間が経ち ギブスが取れた。治療室から聞える
電気のこぎりの音と 叫び声に 嗚咽がつくまで泣いていた次女だったが
実際 その場になると 挿入され骨を固定していたピンを抜かれた時も 
けろっとしていて 驚いた。
取り越し苦労はわたしそっくり。泣いて待ってるのは いつも私。
まだ 傷ついた神経が 完全には戻っておらず 3週間後の検診の予約を取り
帰路につく。毎回 病院を訪れるたびに 本当に いろんな病気や 怪我で
苦しむ子供達がいることを思い知らされる。私達が 喜んで病院を出るその時、
もしかしたら 子供を失い 泣いている親がいるのではないか・・・そう思うと
毎日が 無事に終ることを感謝しなくてはいけないと痛感する。子供は みんな
神様からの贈り物。私たちは 大きくなって 巣立って行くまで
預かって育てているのだから 大切に そして感謝しながら 暮らさなくてはいけない。
献立 : チキンガンボー
      はちみつたっぷり コーンブレッド

8月15日

献立 : これってやっぱり メキシカンキャセロール?
      (トルティアをパスタ変わりに、ひき肉を入れたトマトソース、
       ブラックビーンを交互に敷き詰め チーズを乗せて焼きました)
       レシピあり

8月14日

新学期が始まる。やっと 当日学校で 登録を済ませる。
次女のナーサリー下見にでかける。ここは 設備もカリキュラムも整っているのだが
町をふたつ越した遠くで おまけに ウェイティングリストが随分長い。3月には
リストが一杯なのだそうだ。仕方ないので マザーズデイアウトにサインアップ。
スペイン語も 毎日学ぶらしい。これが 日本語ならな・・と残念。
献立 : 親子どんぶり
      大根 ツナサラダ
      お味噌汁

8月13日

明日から 始まる長女の学校の準備を 今日になってやっと始める。
まだ 学校への登録も終らず インターネットで 学用品のリストをDL.
普通は ぜいたくをさせたくないという理由で まわりの人達は 子供達に
新学期には 新しいバックパック、靴を購入するにもかかわらず 私は
使える限り 修理してでも使わせるのだが、今年は 新しい学校とあって
バックパックを買ってやる。エディーバウアーの たすきかけ風に決める。
しかし・・・ついつい洋服だけは 私の買い物好きが昂じて 買いすぎてしまった。反省。
献立 : ラザニア
      サラダ

8月12日

慌しく 生活は平常に戻る。夫は 悲しみをまぎらわせるためか プール掃除に励む。干ばつのせいか 底は細かい砂だらけで まるでにごっているかのようだ。
せっかく楽しみにして越してきたプールも 次女の怪我で 誰も使うことがなく
9月まで このままだろう。誰も 泳ぐことができない次女のために 泳ごうともしない。
ファイアーアント 駆除のため 薬を散布。今年は いなご、ばったも多く
これでは 菜園も作れないのだろうかと 不安。節水制限始まる。
芝、花壇への水撒きは 週に二日に限られ、プールへの給水も禁止される。
あいかわらず 100度を越す暑さだ。

8月5日

朝 義姉から電話。義母が 昏睡状態に入ったと聞かされる・・・
必ず 眠りから覚める!と信じながら 荷物をまとめ 夕方の便で 義母の元へ
一家で向かう・・しかし、到着してすぐ 家にかけた電話で 義母 死去の知らせ。
夫は 流れる涙をぬぐうこともせず 空港から 1時間の道のりを 義母の待つ
実家へと 車を走らせた。まるで 義母の死を悲しむかのように どしゃぶりの
雨だった。到着後 亡骸を葬儀屋が引き取りに来て 皆 悲しみの床に着く。

8月11日

お通夜、葬儀と 慌しく過ぎ、義母と同居していた 義祖母との時間を 大切に
過ごし 自宅に戻る・・・義母(Mom)のことを綴った エッセイは こちらに置いてあります。彼女のことを 少しでも多くの方々に 覚えていて欲しいから。
ここです。

8月5日

朝 義姉から電話。義母が 昏睡状態に入ったと聞かされる・・・
必ず 眠りから覚める!と信じながら 荷物をまとめ 夕方の便で 義母の元へ
一家で向かう・・しかし、到着してすぐ 家にかけた電話で 義母 死去の知らせ。
夫は 流れる涙をぬぐうこともせず 空港から 1時間の道のりを 義母の待つ
実家へと 車を走らせた。まるで 義母の死を悲しむかのように どしゃぶりの
雨だった。到着後 亡骸を葬儀屋が引き取りに来て 皆 悲しみの床に着く。

8月4日

両親 日本へと帰路に着く。短かった3週間・・・明日から ぼーっとして
しばらくは ホームシックになるにちがいない。会うのは うれしいのに 会ってる間も 別れる時の事を考え 悲しくなっているなんて 本当に損な性分だ。
一緒にいる時間を 思う存分楽しめたらどんなに 充実するか。取り越し苦労は
父親ゆずりなのかもしれない。子供達には おじいちゃん、おばあちゃんと過ごした時間を 一生忘れずにいてほしい。今回は本当にいろいろ お世話になりっぱなしだった。両親と いつか近くに住めるのは 夢だろうか・・・親不孝な私だ。
これからは ますます お互いに老いていくばかりで 両親の将来のことを考えると 不安で眠れない夜もある。いつまで こうやって 会いに来てもらえるだろうか・・また 来年も会おうね!と 涙をこらえて お別れをした・・・・
ずっと ずっと 元気でいてください・・

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